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日野啓三 : ウィキペディア日本語版
日野啓三[ひの けいぞう]

日野 啓三(ひの けいぞう、1929年6月14日 - 2002年10月14日)は、日本の小説家ベトナム戦争を題材にした作品や、現代都市における幻想を描く都市小説といわれる作品などで知られる。
== 経歴 ==
東京生まれ。5歳の時に父親の仕事のため朝鮮に移り、小中学校時代を慶尚南道密陽で暮らした。1942年にソウルに移って、龍山中学に通う。敗戦後は父親の故郷広島県福山市に引き揚げ、広島県立府中中学校(現広島県立府中高等学校)を経て、1946年に旧制一高入学、この頃野間宏、椎名麟三などの戦後文学に関心を持ち、大岡信、丸山一郎(佐野洋)らと同人誌『二十代』、次いで同じメンバーで『現代文学』を作り、文芸評論を執筆した。
1952年東京大学文学部社会学科卒業し、読売新聞外報部に勤務。この年に『文学界』の新人批評家特集で「荒正人論-虚点という地点について」寄稿、同誌の会合で安岡章太郎吉行淳之介奥野健男ら同世代の作家や批評家と交流する。1960年に軍政下のソウルに特派員として赴任。翌年帰国して直後に離婚、ソウルで知り合った妻と再婚する。1964年にベトナム戦争中のサイゴンに赴任し、開高健らと知り合う。帰国後1966年にベトナム戦争取材記者を題材にした「向こう側」を季刊誌『審美』に発表し作家デビュー。続いて同じくベトナム戦争を題材にした小説を書きながら、ルポルタージュ風エッセイ『ベトナム報道』を書き下しで刊行。1967年に新聞の長期連載のために再度ベトナム取材。
また異国から日本に来た妻との生活も題材にし、1974年高層マンションに住む核家族を描いた短編『此岸の家』で平林たい子文学賞1975年『あの夕陽』で芥川賞受賞。
その後、1982年幻想的作風の『抱擁』で泉鏡花文学賞1986年夢の島』で芸術選奨文部大臣賞、同年『砂丘が動くように』で谷崎潤一郎賞受賞。1987年芥川賞の選考委員に加わる。
1990年に肝臓癌が発見されて摘出手術。1992年、『断崖の年』で伊藤整文学賞1993年、癌治療中の体験を描いた『台風の眼』で野間文芸賞1996年近未来小説『光』で読売文学賞2000年芸術院賞日本芸術院会員。ほかに代表作として『天窓のあるガレージ』がある。
2000年にくも膜下出血で倒れ、歩行が困難となる。2002年10月14日に大腸癌で死去するまで読売新聞社編集委員の地位にあった。葬儀委員長は詩人の大岡信がつとめた。
アニメや漫画に対しても関心を抱き、『伝説巨神イデオン』『装甲騎兵ボトムズ』などに対して相応の評価をした。
長男の日野鋭之介はプロモデラー、原型師。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日野啓三」の詳細全文を読む



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