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日野 資敬(ひの すけのり、生年不詳 - 文久元年5月26日(1861年7月3日))は、江戸時代の公家。高家旗本。丹波篠山藩主青山忠裕の子。通称は鑑之助、主税。官位は従五位下侍従・若狭守。 実兄に青山忠良、青山幸哉らがいる。天保8年(1837年)5月4日養父日野資邦の死去により、家督を相続した。天保14年(1843年)8月15日将軍徳川家慶に御目見する。安政3年(1856年)11月15日、高家職に就き、従五位下侍従・若狭守に叙任する。万延元年(1860年)12月26日辞職する。文久元年(1861年)5月26日死去。 正妻は日野資邦の娘。養父資邦の長男資訓を養子に迎えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日野資敬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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