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本願寺日高別院[ほんがんじひだかべついん]
本願寺日高別院(ほんがんじひだかべついん)は、和歌山県御坊市御坊にある浄土真宗本願寺派の寺院。別名日高御坊。京都市にある西本願寺の別院である。 == 歴史 == 『紀伊続風土記』によると、享禄元年(1528年)、摂津国江口の戦いで三好長慶の軍勢に敗れた湯川直光は、山科本願寺の証如の助力で小松原館に帰還できたことを感謝し、天文年間に美浜町吉原に一堂を建立し、次男の湯川信春を出家させ唯可としてその住職にしたという。 その後、唯可は石山本願寺に移った証如に拝謁し、祐存という法名と証如の御影を賜ったという。また、坊舎の号を許可され、吉原坊舎と称した。 天正13年(1585年)の紀州征伐により、吉原坊舎と湯川氏の居城・亀山城は焼失した。しかし、祐存は僧とともに薗浦の椿原に仮堂を建て、薗坊舎と称した。文禄4年(1595年)、紀伊国主浅野幸長の重臣・佐竹伊賀守の援助で薗坊舎を現在地に移し、鷺森御坊の別院として当院を再建した。現存する本堂は文政8年(1825年)の再建で、1877年(明治10年)に本願寺日高別院の称を得た。 御坊舎に因んで地名も御坊と呼ばれるようになり、現在の御坊市の地名の起源となった。以降、門徒を中心に人々が周辺に往来し町場が形成され、日高地方の商業の中心になった。町は日高別院を中心に西町・中町・東町に分かれているが、特に東町には現在でも土蔵屋敷が多く残り、近世の町並みを顕著に残している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本願寺日高別院」の詳細全文を読む
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