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日高孝次[ひだか こうじ]
日高 孝次(ひだか こうじ、1903年11月4日 - 1984年8月5日)は、日本の海洋物理学者である。弟は歴史学者の日高次吉。 == 経歴 == 1903年に宮崎県宮崎郡広瀬村(現・宮崎市)で出生。第七高等学校造士館卒業後、東京帝国大学理学部物理学科に進学し大正15年(1926年)に同大学を卒業。その後すぐに中央気象台に入庁、海洋気象台で勤務した。 昭和9年(1934年)に「湖沼の振動及び海流に関する海洋物理学的研究」で帝国学士院から東宮御成婚記念賞を受賞した。昭和16年(1941年)にほかの日本の海洋学者らとともに日本海洋学会を設立し、自身も昭和23年(1948年)から昭和41年(1966年)まで同会会長を務めた〔歴代の会長・副会長・編集委員長 〕。昭和17年(1942年)に東京帝国大学地球物理学教室で第一講座教授の担当になった。「結婚は青年男女個人個人が、相手の異性が果たして自分に適当なものか否かを自分の目で観察し、多数の中から最後の一人を選ぶのが最も好ましい」という信念を有しており、昭和21年(1946年)から昭和53年(1978年)まで、自宅を開放するなどして妻とともに若い男女交際の仲介を目的とする日高パーティーを主宰した。日高本人も当パーティーにて4番目の夫人と出会い昭和49年に結婚している。但し当人は海洋学者としての意識が強く、「日高パーティーの日高」と言われることを嫌っていたという。 その後は昭和37年(1962年)に東京大学海洋研究所所長、東海大学教授になどに就任した。昭和41年(1966年)に数々の海洋物理学に対する功でモナコ大公アルベール1世記念メダルを受賞した。昭和53年(1978年)に日高パーティは解散。昭和59年(1984年)8月15日脳梗塞により死去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日高孝次」の詳細全文を読む
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