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日高支庁における競走馬の生産 : ウィキペディア日本語版 | 日高支庁における競走馬の生産[ひだかしちょうにおけるきょうそうばのせいさん] 日高振興局における競走馬の生産では、北海道日高振興局における競走馬の生産について記述する。 == 歴史 == 日高地方において本格的な馬の生産が行われたのは江戸時代のことで、江戸幕府が現在の浦河町に馬牧を設置し、数百頭の馬を飼育した。明治時代に入り馬牧は廃止されたが、1872年に開拓使・黒田清隆が新冠牧場(現在の家畜改良センター新冠牧場)を建設〔現在の日高郡、新冠郡、沙流郡にまたがり、約6700町の広さをもっていた。〕し、行幸用の馬車馬を生産した。 日高振興局(旧・日高支庁)に初めてサラブレッドが繋養されたのは1887年のことで、その後1905年に馬政局が発表した第一次馬政計画ではサラブレッドを中心とする乗用馬の生産が奨励され、1907年には第一次馬政計画を推進するために農林省が浦河町に日高種馬牧場を建設した。ただしこの時期の日高振興局の農業の中心はあくまでも農作物であって馬の生産はさほど盛んではなく、馬産地としての評価は東北地方、関東地方、九州地方の方が高かった。 日高振興局が日本一の馬産地として認識されるようになったのは戦後のことである。1970年に減反政策が開始され、その後まもなく第一次競馬ブームが起こると、それまで零細な規模で稲作を行っていた農家の多くが水田を牧草地に転作し、競走馬の生産を行うようになった。一方、戦前に軍馬や農業馬の産地として有名であった他の馬産地は宅地開発や土地高騰の影響による牧場用地の確保困難や、馬産の大部分を占めていた軍馬・農耕馬の需要の消滅によって衰退した。日高振興局における農業生産額に占める競走馬の割合は1965年には22%であったが、1970年には63%に上昇し、それ以降60〜70%を維持し続けている。
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