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日高敏彦 : ウィキペディア日本語版
日高敏彦[ひだか としひこ]
日高 敏彦(ひだか としひこ、1944年 - 1976年10月2日)は日本赤軍のメンバー。
==人物==
宮崎県立宮崎大宮高等学校を経て1968年大阪市立大学理学部卒業。大手電機メーカーの協力会社にエンジニアとして勤務の傍ら〔「ゆうき凛々」第32号 丸ちゃんのへ-ジ 丸岡修●98/5/30 〕、左翼活動家として活動していたが、1971年5月9日にソ連船で欧州に向かい、日本赤軍に参加。
1975年8月のクアラルンプール事件に関与。
1976年9月23日、リビアから偽造旅券ヨルダンに入国しようとして、奥平純三とともに逮捕された。奥平は「桜端喜一郎」という偽名を、日高は「高見沢澄臣」という偽名を用いていた〔誰か昭和を想わざる 昭和ラプソディ(昭和51年・下) 〕。
1976年10月2日、取調べを受けていた署内のトイレ首吊り自殺。31歳。
日本赤軍関係者の中には、ヨルダン当局による拷問によって死亡したと主張する者もいる〔和光晴生『日本赤軍とは何だったのか―その草創期をめぐって』彩流社、2010〕。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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