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日高 晶彦(ひだか まさひこ、1952年8月19日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、内野手。 ==来歴・人物== 広島商では1969年、2年生の時に控え投手として春の選抜に出場。2回戦(初戦)では先発し首里を降す。3回戦ではリリーフに立つが浪商に敗れた。 翌1970年の夏はエースとして県予選決勝に進出。中学生の時からのライバルである広陵の佐伯和司投手に、延長10回の熱戦の末に投げ勝ち、甲子園に出場。しかし2回戦で高松商の大北敏博投手に0-1で完封され敗退した。チームメートには四番打者、外野手の船田政雄がいた。右オーバースローからカーブ、シュート、スライダーを投げ分けた。 1970年ドラフト会議で東映フライヤーズから6位指名を受け入団(ちなみに同級生の船田も4位で東映に入団)。1971年3月14日の広島とのオープン戦では4イニングを3安打に抑え期待された。同年は1先発を含め4試合に登板したが結果を残せず、その後は登板機会がなくなる。1974年に内野手へ転向、翌年に5試合に出場するが思うような結果は残せず、1977年限りで引退した。 現在は地元で飲食店を経営している。(天麩羅・天晶) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日高晶彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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