翻訳と辞書
Words near each other
・ 旧福浦灯台
・ 旧秀隣寺庭園
・ 旧秋田藩主佐竹氏別邸
・ 旧称
・ 旧稿
・ 旧章
・ 旧競馬法
・ 旧竹林院
・ 旧竹林院庭園
・ 旧第五十九銀行本店本館
旧第五高等中学校
・ 旧第四高等中学校本館
・ 旧笹川家住宅
・ 旧篠原家住宅
・ 旧篠山町差別落書きやらせ疑惑事件
・ 旧約
・ 旧約Märchen
・ 旧約・女神転生
・ 旧約偽典
・ 旧約全書


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

旧第五高等中学校 : ウィキペディア日本語版
第五高等学校 (旧制)[だいごこうとうがっこう]

第五高等学校(だいごこうとうがっこう)は、1887年明治20年)5月熊本区1889年以降は市制を施行して熊本市)に設立された官立高等中学校を母体とする旧制高等学校。略称は「五高」(ごこう)。
== 概要 ==

* 全国で5校のナンバースクール高等中学校の一つとして設立された。1887年(明治20年)4月の仙台旧制二高金沢四高に次ぐものである。初期の教員は校長を始め一高からの転出者が多く、一高をモデルとした全寮制と寮自治が志向された(寄宿舎は「習学寮」)。
* 文科・理科よりなる修業年限3年の高等科が設置された。入学者は九州出身者が多く、卒業後の進学先は地元の九州帝国大学よりも東京帝国大学が多かった。
* 関東旧制一高関西旧制三高、長州(山口)の旧制山口高と並んで、薩摩(九州)の旧制五高は、政治家志向、中央官僚志向が強かった。そのため、内閣総理大臣経験者をはじめ、多くの政治家や官僚を輩出した〔中村宋悦 『評伝 日本の経済思想 後藤文夫 人格の統制から国家社会の統制へ』 日本経済評論社 p6~7〕。
* 新制熊本大学の前身校の一つであり、法文学部および理学部の構成母体となった。
* 校風は「剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)」。代表寮歌は「東京帝国大学寄贈之歌」、通称「武夫原頭(ぶふげんとう)」。
* 旧制高等学校の中では飛びぬけて校地が広く、他の旧制高等学校が2万坪を標準としたのに対し、5万坪の敷地を誇り、陸上用グラウンドと野球用グラウンドを別々に設けるなど、かなり余裕がある使いかたをしていた。
* 戦後、男女共学になり女子学生を受け入れた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第五高等学校 (旧制)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.