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早乙女 愛(さおとめ あい、1958年12月29日 - 2010年7月20日)は、日本の女優である。身長163cm〔週刊朝日、1974年8月9日号16頁〕。 ==人物・略歴== 1958年(昭和33年)、鹿児島県肝属郡高山町(現:肝付町)生まれ〔(早乙女本人の取材に基づく記事)。〕。7人兄弟の長女(最年長)で〔、5人が弟で一番下が15歳離れた妹がいる〔。実家は印刷屋を経営していた〔。中学時代は陸上部で鳴らす〔。中学3年のとき、地元のカメラマンに『愛と誠』のオーディションの話を聞く〔。 1974年(昭和49年)、漫画雑誌『週刊少年マガジン』に連載されていた、梶原一騎原作の漫画 『愛と誠』が映画化されるにあたり、主人公・太賀誠を演じる西城秀樹の相手役が公募された〔松竹は映画館内の掲示物にて、「新人募集、15~19才の未婚女性、賞金100万円」として公募を行っていた〕。中学を卒業した春休みに「タダで東京へ行けて、西城秀樹さんにも会える」という動機で〔、友人と共に応募し、4万人の中から選出され、松竹と専属契約。同年、映画での役名と同じ「早乙女 愛」の芸名で映画デビューした〔週刊アサヒ芸能 2012年6月28日特大号 俺たちが愛した美少女選抜BEST30 第1弾・70年代編〕。同作で脚光を浴び、1日に400通ものファンレターが殺到するほどの人気となった。映画もシリーズ化されたことでその多忙が影響し、鹿児島県立高山高等学校に入学は決まっていたが、入学式だけ行って高校は1年留年した〔。『愛と誠』が三部作となったため、夏と冬の休みに上京し撮影〔、4年かけて高校を卒業後〔〔小学館『GORO』1979年2月8日号インタビュー〕、上京し女優として活躍を続けた。 1983年(昭和58年)、成人映画である『女猫』(監督・山城新伍)に主演。それからはヌードシーンも厭わぬ大胆な演技に挑むようになった。1985年(昭和60年)に7歳年上の江原春義と結婚。その後一緒に化粧品会社「江原道」設立。結婚を機に徐々に仕事から離れつつ助演にシフトしていった。 1996年(平成8年)、出演していたテレビドラマシリーズ 『はるちゃん』(東海テレビ)を、自身の妊娠により途中降板し、翌1997年に男子を出産。以降の芸能活動は映画等で数シーンのみの出演に留まった。2000年(平成12年)の映画『新・仁義なき戦い』への出演を最後に芸能界を引退。 2002年(平成14年)頃よりアメリカ合衆国に在住していた〔。2008年(平成20年)離婚し息子と2人で暮らす。 2010年(平成22年)7月20日午前3時51分(現地時間)、多臓器不全のためシアトルの病院で死去〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「早乙女愛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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