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早稲田大学川口芸術学校(わせだだいがく かわぐちげいじゅつがっこう)は、かつて存在した芸術専門学校。2003年に埼玉県川口市の映像新産業拠点SKIPシティに開校。映像と情報コンテンツ制作者を養成することを目的とした。 ==概要== 開講当初から設置されている3年制昼間の映像情報科(専門士、定員30名)と大学院進学を前提とした2007年設置予定の4年制昼間の映像文化学科(高度専門士・大学院入学資格取得予定、定員10名)の1学科。映像情報科では、1年次および2年次前期を少人数によるグループワークなどを中心とした集中実習型の映像に関する広範カリキュラム。多作な制作による実践教育と周辺の専門分野の座学を提供している。デジタルシネマ・アニメーション・映像芸術表現・映像ジャーナリズムの専門ゼミを有し、2年次後期から卒業までセミによる制作指導を提供している。 主な1年次カリキュラムは、グループワークを中心とした集中実習形式の情報リテラシ、写真、視覚表現基礎、ドキュメンタリー制作〜シナリオ〜ドラマ制作、立体アニメ、平面アニメ、CG制作、音響デザイン。専門分野の座学は、メディア・リテラシー、映像ジャーナリズム、メディアアート(選択)、英語(選択)等が設置されている。その他全校的な授業や学校行事としては、夏の軽井沢セミナーや学祭参加、卒業制作展、公開講座、インターネット生放送実習等行われている。 2006年3月末時点で、第一期卒業生49名(入学時51名)の卒業生の90%強が、希望する映像制作関連業種への就職、及び大学編入(早稲田大学、多摩美術大学等)・大学院進学(東京芸術大学・尚美学園大学)を果たしている。卒業制作作品で東京国際アニメフェア公募作品グランプリ2006年度受賞(『ふくをきたカラス』(海老澤和夫))やSKIPシティ国際Dシネマ映画祭(『 for 』(柳川薫平))にノミネートされた。 また卒業生には、『東京プレイボーイクラブ』(2011年公開/出演:大森南朋、光石研、臼田あさ美 他)の監督である奥田庸介がいる。奥田は、卒業制作から続く3部作作品『青春墓場〜明日と一緒に歩くのだ〜』で、2010年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター部門グランプリを受賞した。 姉妹校として早稲田大学芸術学校があり、夏の軽井沢セミナーや学祭は合同でおこなわれる。 2009年度より川口芸術学校映像情報科・映像文化学科を修了する学生に対し、早稲田大学文学部の日本文学科、日本史学科、フランス文学科への編入枠が創設された。学生は、これら3学科の中から編入先学科を自由に選択できる。また、映像情報学科を修了した学士を有する者、もしくは学士と同等の能力があると認められた22歳以上のもので学内選考を通った者は、早稲田大学大学院国際情報通信研究科へ内部進学も可能である。 2011年度より映像情報科・映像文化学科の募集を停止。在学生が卒業するのと同時に早稲田大学川口芸術学校は閉校となることが決定。2015年3月に、閉校した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「早稲田大学川口芸術学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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