|
関門海峡(かんもんかいきょう)は、本州の下関市(山口県)と九州の北九州市(福岡県)を隔てる海峡。名称は両岸の地名である、馬関(現 下関市)の「関=カン」と、門司(現 北九州市門司区)の「門=もん」を取ったものである(難関という意味の関門ではない)。穴戸海峡、馬関海峡(ばかんかいきょう)、下之関海峡とも称された〔『山口県の地名』平凡社、1980年、p.433〕。最深部は水深47m。 本州と九州を隔てる水路を大瀬戸(おおせと)といい、彦島と本州を隔てる水路を小瀬戸(こせと)または小門海峡(おど)という。大瀬戸の幅が約600mまで狭まる壇ノ浦と和布刈の間は早鞆の瀬戸(はやとものせと)という。 一般には大瀬戸の下関と北九州市門司区の間を関門海峡と呼ぶ。なお、海運業界では下関市彦島の周囲を迂回する形で門司区 - 小倉北区 - 戸畑区 - 若松区に抜けるルートが関門航路=関門海峡との認識である。 == 歴史 == * 約6000年前 - 本州と九州が分断され、海峡が形成される。 * 1185年(元暦2年/寿永4年)3月25日 - 壇ノ浦の戦いで安徳天皇が入水、平家一門が滅亡。 * 1612年(慶長17年)5月13日 - 宮本武蔵と佐々木小次郎による巌流島での決闘が行われる。 * 1863年(文久3年)7月16日 - 長州藩が馬関海峡を通過するアメリカ商船に砲撃を開始、翌年5月の下関戦争(馬関戦争)の原因となる。 * 1895年(明治28年)4月17日 - 日清戦争の講和条約(下関条約)が海峡に面した割烹旅館「春帆楼」で調印。 * 1942年(昭和17年)11月15日 - 世界初の海底トンネルである関門鉄道トンネルが開通。 * 1945年(昭和20年)3月27日から7月11日 - B29による機雷敷設が行われる。日本近海に投下された機雷は推定11000とされ、そのうち約5,000個が関門海峡に投下された。現在も約1700が未処理であると推定されている〔〕。 * 1958年(昭和33年)3月9日 - 関門国道トンネルが供用を開始する。 * 1973年(昭和48年)11月14日 - 高速道路の関門橋が供用を開始する。 * 1975年(昭和50年)3月10日 - 新幹線の新関門トンネルが供用を開始する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関門海峡」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kanmon Straits 」があります。 スポンサード リンク
|