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昭和電力 : ウィキペディア日本語版
昭和電力[しょうわでんりょく]
昭和電力株式会社(しょうわでんりょく)は、昭和初期に存在した日本電力会社である。当時の大手電力会社大同電力子会社
富山県から福井県滋賀県京都府を経て大阪府へ至る約300キロメートルの長距離送電線を保有し、北陸地方にある発電所の発生電力を大消費地である大阪へと送電した。発電事業も兼営しており、富山県と福井県に計2か所の水力発電所を建設・運営していた。1926年(昭和元年)設立、電力の国家管理を目的とした国策会社日本発送電1939年(昭和14年)に合併した。
== 沿革 ==
昭和電力は1926年(昭和元年)12月27日に発足した〔『北陸地方電気事業百年史』、p.856〕。昭和天皇が即位して「大正」から「昭和」に改元したのは、会社設立2日前の12月25日のことである。
東京市麹町区(現・東京都千代田区)に設立された昭和電力は、当初は大手電力会社である大同電力と、鉱山開発などを手がける久原鉱業との共同出資であった。北陸地方を流れる庄川水系・九頭竜川水系の開発と関西名古屋方面への送電を目的としており、このうち庄川水系の開発の競合回避のために大同電力と久原鉱業の共同出資となった。ただし、1928年(昭和3年)1月に久原鉱業は所有する昭和電力株のほぼすべてを大同電力傘下の投資会社大同土地興業に売却してこの事業から撤退している。社長は大同電力の増田次郎(1928年から大同電力2代目社長)が就任した〔『北陸地方電気事業百年史』、pp.150-151〕。
昭和電力がまず着手したのは北陸と関西を結ぶ長距離送電線の建設である。元は、大同電力の前身である日本水力が企画していたもので、それを引き継いで1927年(昭和4年)4月に着工した。大同電力の支援の下、2つの変電所を含めて1929年(昭和4年)6月に完成した。この長距離送電線「北陸送電幹線」は亘長296キロメートルで、送電電圧は154キロボルト富山県の笹津変電所を起点とし、石川県福井県滋賀県琵琶湖北岸、京都府を経由し、大阪府の八尾変電所を終点とした。同じ大同電力系列の電力会社で、神通川支流高原川において水力発電所を運営していた神岡水電の発生電力3万キロワットを起点の笹津変電所で受電し、八尾変電所へ送電、ここから大同電力に供給するようになった〔。

北陸送電幹線の建設に続いて、自社発電所である祖山発電所1930年(昭和5年)12月に竣工した。富山県の庄川本流に建設した発電所で、最大出力約5万キロワットのダム水路式発電所である。祖山発電所の発生電力も北陸送電幹線により大同電力へ送電された〔が、北陸送電幹線はそのほかにも大同電力の委託により日本海電気の発送電力(最大1万キロワット)、日本電力の委託により同社の発生電力(最大2万3000キロワット)をそれぞれ笹津から八尾へと送電していた〔『北陸地方電気事業百年史』、p.246〕。
不況により1930年代前半は発電所の新規開発を中断していたが、景気の好転に伴い1936年(昭和11年)10月に2つ目の発電所の建設に着手した。福井県内、九頭竜川水系の東勝原発電所で、1937年(昭和12年)12月に竣工した。同発電所の発生電力は、下流側にある大同電力西勝原発電所(現・北陸電力西勝原第二発電所)へ送電されここから大同電力へ供給された。続いて1938年(昭和13年)4月に同じく九頭竜川水系で下打波発電所を着工した〔。
しかし下打波発電所の完成を待たずに昭和電力は消滅する。その契機となったのは、日中戦争を背景として進展した電力の国家管理である。国家管理の第1段階として、まず1939年(昭和14年)4月1日に国策会社日本発送電が設立され、各電力会社が所有する火力発電所と主要送電線を強制的に現物出資させた(第1次国家管理)〔『北陸地方電気事業百年史』、p.312〕。この第1次国家管理の際、強制出資の対象にならなかった残余の資産もすべて出資して親会社の大同電力は解散した〔『人的事業大系』2、p.90〕。昭和電力でも2つの変電所と北陸送電幹線など送電線3路線を日本発送電に出資した。また大同電力が日本発送電に全資産を出資した影響で、大同電力・大同土地興業が所有していた昭和電力株がすべて日本発送電の所有となり、昭和電力は日本発送電の子会社となった〔『人的事業大系』2、p.235〕。第1次国家管理の下でも祖山・東勝原の両水力発電所は昭和電力に帰属したままであり〔『人的事業大系』2、p.239〕、水力発電所が日本発送電への強制出資の対象に含まれるようになる(第2次国家管理)のは1941年(昭和16年)以降のことであるが〔『北陸地方電気事業百年史』、p.313〕、昭和電力は大同電力の後を追い半年後の1939年10月31日に日本発送電に合併して消滅した〔『北陸地方電気事業百年史』、pp.408,861〕。
日本発送電への合併直後の1939年11月、昭和電力が着工した下打波発電所は運転を開始した〔『北陸地方電気事業百年史』、p.344〕。日本発送電が戦後1951年(昭和26年)に解散した際、九頭竜川水系の東勝原・下打波の両発電所は北陸電力へ継承された〔『北陸地方電気事業百年史』、p.812〕が、庄川水系の祖山発電所は関西電力に継承されている〔『北陸地方電気事業百年史』、p.523〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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