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昭礼可汗 : ウィキペディア日本語版
昭礼可汗[しょうれいかがん]
昭礼可汗(しょうれいかがん、拼音:Zhāolǐkĕhàn、? - 832年)は、回鶻可汗国の第11代可汗〔資料によっては第10代。〕。名は不明。可汗号はアイ・テングリデ・クト・ボルミシュ・アルプ・ビルゲ・カガン(Ay täŋridä qut bolmiš alp bilgä qaγan)〔「月天の聖霊より幸を授かりし勇猛にして賢明なるカガン」の意。〕といい、より昭礼可汗の称号(美称)を加えられた。即位前の称号は曷薩特勒(かつさつテギン)〔特勤(テギン、Tägin)とは、突厥や回紇における皇太子もしくは王子に与えられる称号。『新唐書』では「特勒」と誤記。〕。『旧唐書』では薩特勤薩特勤可汗と表記。
==生涯==
敬宗即位の年(824年)、崇徳可汗が死ぬと、親弟(従弟)の曷薩特勒が立って可汗に即位した。翌年の宝暦元年(825年)5月、唐は曷薩可汗を冊立して愛登里囉汨没蜜施合毘伽昭礼可汗とし、幣12車を賜う。
文宗(在位:826年 - 840年)の初め、唐は回鶻に馬価絹(ばかけん)〔いわゆる「絹馬貿易」によって唐がと引き換えに回鶻へ渡す絹織物。回鶻はここで得た絹織物をさらにソグド人を介してシルクロード貿易に使い、西方のガラス製品や絨毯(じゅうたん),壁掛け,香辛料などを手に入れていた。〕50万を賜う。
大和元年(827年)、文宗は中使に命じて絹20万匹を回鶻に賜って馬価とした。
大和3年(829年)1月、中使は絹23万匹を回鶻に賜って馬価とした。
大和6年(832年)、昭礼可汗はその配下に殺され、従子の胡特勒が立って可汗となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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