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時計の歴史(とけいのれきし)では、古代から現代に至る時計の歴史について記述する。 何千年にもわたって時計は時間を計り、その経過を追うために用いられてきた。現在使われている六十進法の時間単位は紀元前約2000年にシュメールで考えられたものである。1日を12時間2組に分けたのは古代エジプト人で、巨大なオベリスクの影を日時計に見立てたことが起源である。彼らはルクソール近郊にあるアメン=ラーの地でおそらく最初に使われたとされる水時計も作っている。水時計は後にエジプト以外でも用いられるようになり、古代ギリシアではこれをクレプシドラの名で呼んでいた。同じころ、古代中国の殷では、水があふれる仕組みを利用した水時計が発明された。この水時計の技術はメソポタミアから紀元前2000年ごろにもたらされたものと考えられている。その他、中国、日本、イギリス、イラクではロウソク時計も使われており、インド、チベット、一部ヨーロッパでは日時計が広く使われていた。砂時計も使われていた。初期の時計は日時計が多く、曇りや夜には使うことができなかった。よく使われたのはグノモン と呼ばれる形のものであったが、あくまで日時計なので、緯度で値が変化した。 時計に脱進機(歯車を一定方向に回す装置)を初めて用いたのは8世紀の中国であり〔David Landes: “Revolution in Time: Clocks and the Making of the Modern World”, rev. and enlarged edition, Harvard University Press, Cambridge 2000, ISBN 0674002822, p.18f.〕、水時計にギアとおもりを組み込んだのは11世紀のイスラム教徒であった〔。脱進機に王冠歯車を用いたのは14世紀のヨーロッパで、16世紀にゼンマイ式の懐中時計ができ、18世紀に振り子時計ができるまで長い間使われた。20世紀になると、クオーツ時計、さらには原子時計へと置き換わっていった。クォーツ時計は作るのが簡単で正確なので、腕時計によく使われた。原子時計はこれよりもはるかに正確なので、国際標準時間「国際原子時」をきめるのに使われている。原子時計は協定世界時にも使われている。 ==初期の計時機械== 暦が使われたのは最終氷期の狩猟採集社会においてであり、棒や骨などを使って月の位置と満ち欠けを観察したのが始まりだった〔。先史ヨーロッパを中心にストーンサークルも多く使われており、春分、秋分や夏至、冬至の見極めに用いられた。その代表がストーンヘンジである〔。ただし、これら巨石文明の時代には文献資料が残されていないため、その役割はあまりよくわかっていない〔Richards, p. 55〕。 多くの古代文明で太陽や月などの天体観測が行われており、それを元に時間、日付、季節が決められていた〔Chobotov, p. 1〕。現在広く世界で使われている60進法の時間単位は、約4000年前の古代メソポタミア文明、及びエジプトで考えられたものである〔〔Barnett, p. 102〕〔Knight & Butler, p. 77〕。時代的には後になるが、60進法はメソアメリカでも使われた〔Aveni, p. 136〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「時計の歴史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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