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曹汝霖 : ウィキペディア日本語版
曹汝霖[そう じょりん]

曹 汝霖(そう じょりん)は清末民初の政治家。北京政府の政治家で、安徽派に近い「新交通系」と呼ばれる派閥の要人である。潤田
== 事績 ==

=== 袁世凱の下での活動 ===
漢陽鉄路学校を経て、1900年光緒26年)に日本へ留学する。東京専門学校(後の早稲田大学)、法政大学で学んだ。日本にあった間には、立憲君主制の採用を主張した。
1904年(光緒30年)の帰国後に、進士となり、商部候補に属した。翌年、袁世凱の随員として日本へ渡り、東三省に関する協約の締結に従事した。その後、外務部に転じる。1911年宣統3年)春、慶親王の皇族内閣において、外務部副大臣に任じられた。
1913年民国2年)、曹汝霖は袁世凱から参議院議員に指名された。8月には外交部次長に任命された。1915年(民国3年)1月、曹汝霖は外交総長陸徴祥とともに、日本の駐華公使日置益との、いわゆる対華21ヶ条要求交渉に臨んだ。同年5月に、袁は要求を受諾しているが、国内からの反発は強かった。
1916年(民国5年)4月、曹汝霖は段祺瑞内閣で梁敦彦の後任として交通総長に任命される。5月には署理外交総長も兼任したが、6月、袁の死後にいずれの職も辞任した。同年秋、交通銀行総理に転じた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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