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曽我逸郎 : ウィキペディア日本語版
曽我逸郎[そが いつろう]

曽我 逸郎(そが いつろう、1955年11月12日- 〔あのまちこのまち 長野県中川村 〕 )は、日本政治家長野県上伊那郡中川村長(3期、無所属)。
== 経歴・人物 ==
長崎県対馬生まれ。滋賀県に転居し、滋賀県立膳所高等学校卒業〔「国旗に一礼しない村長」曽我逸郎講演録・全文掲載(2013/1/26) 〕。大学で仏教学を学ぼうと志し、のち哲学専攻に転ずる〔自己紹介とこのホームページの意図 〕。京都大学文学部卒業。電通に入社、大阪・香港・名古屋で勤務し、広告営業部長を経て、2002年退社。中川村に移り、農業を営む。
2005年4月24日、民間感覚の導入や観光と農業を結び付けた活性化策、村長給料30%カットを掲げ、草の根型の活動を展開して、中川村村長に初当選した〔「中川村長選投開票 曽我氏、現職破り初当選」 信濃毎日新聞、2005年4月25日〕〔「電通を知る」.mov会議 vol.1 〕。
生きていくのに必要・十分な所得を、すべての人に条件を設けずに給付しようというベーシックインカムの発想に関心をもち、しばしば文章を発表している〔信州 中川村 村長からのメッセージ 〕。
2008年3月18日、憲法九条を守る首長の会への参加を表明した〔憲法九条を守る首長の会 2008年03月18日 曽我逸郎 〕。
2010年1月29日、行政公式ホームページを利用して、村の無防備都市宣言を公式に発議した〔曽我逸郎 無防備都市宣言はどうか? 〕。
2011年2月中旬、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加反対の村内9団体で構成される実行委員会の代表に就き、同月20日隊列の先頭に立ってデモ行進に参加した〔TPP反対「村挙げて」デモ 中川村長先頭に380人 朝日新聞、2011年2月21日〕〔YouTube動画 「出発前村長挨拶、中川村TPP反対デモ1」 ; 「2011年2月20 長野県中川村 全村挙げてのTPP参加反対デモ」 〕。
2012年4月28日脱原発をめざす首長会議 に参加〔脱原発をめざす首長会議 会員 〕。
2012年6月、定例村議会一般質問で「村長は卒業式や入学式で国旗に一礼をしていないようだが、なぜか」を問われたのに対し、「国を誇りに思う気持ちは、誇れる国を創れれば自然に生まれる。国旗への一礼を押し付ける空気は、思考や行動を型に嵌め委縮させ、誇れる国にすることを妨げ、かえって日本の足を引っ張る。強制の空気がある内は一礼を控えたい。」といった旨を答弁。多くの意見が寄せられ、マスコミ報道でも注目された〔村議会6月定例会 「国旗と国歌について村長の認識は」との一般質問を頂きました。2012年6月12日 曽我逸郎 〕〔国旗とこの国の姿 2013年12月23日 曽我逸郎さん(長野県中川村長) 法学館憲法研究所〕。
2013年4月21日、村長選で3期目の当選。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「曽我逸郎」の詳細全文を読む



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