|
曽 拡情(そう かくじょう)は中華民国の政治家。蒋介石の腹心の1人と目され、中華民族復興社(いわゆる藍衣社)の組織に従事した人物である。旧名は朝笏、別名は慕沂。 == 事跡 == === 蒋介石の腹心へ === 1913年(民国2年)、威遠県立中学に入学し、卒業後は成都の四川省立茶務講習所に進学する。1920年(民国9年)に卒業し、国内各地の製茶業の視察を行った。1921年(民国10年)、南京に移り、ここで中国国民党に加入する。翌1922年(民国11年)、私立朝陽大学法律系に入学した。 1924年(民国13年)、曽拡情は黄埔軍官学校第1期に入学し、11月に卒業して同校政治部少校科員となった。まもなく国民党軍校軍医党代表に任ぜられる。翌1925年(民国14年)春、軍政治部編纂となり、孫文主義学会に加入し、同年に東征(陳炯明討伐)に従事して宣伝工作を担当した。 同年夏に広州に戻り、国民革命軍教導第1団第3営党代表、第4団第2営第5連連長を歴任している。1926年(民国15年)6月、黄埔同学会幹部委員となり、1927年(民国16年)春、国民革命軍独立第13師党代表に任ぜられた。この年に曽拡情は蒋介石の随従秘書に任ぜられ、以後、その腹心の1人と目されることになる。翌年3月、黄埔同学会幹部委員兼書記長となり、さらに南京中央陸軍軍官学校政治部主任(後に政治訓練処処長に改組)となった。1929年(民国18年)春 、中央党部組織部秘書となり、3月、党第3回全国代表大会代表に選出されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「曽拡情」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|