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曽根 中生(そね ちゅうせい、1937年10月1日 - 2014年8月26日〔)は、日本の映画監督、脚本家。本名は曽根義忠(よしただ)〔。 == 人物・来歴 == 群馬県北群馬郡子持村(現在の渋川市)出身。群馬県立渋川高等学校、東北大学文学部を卒業した1962年、日活に入社。 若松孝二監督の問題作『壁の中の秘事』の脚本を担当して注目を集める。 また脚本家集団具流八郎の中心的メンバーとして、鈴木清順監督の日活最後の作品『殺しの烙印』の脚本を手がける。 その後、監督デビューと時を同じくして日活がロマンポルノ路線に転じたため、多くのロマンポルノ作品を監督することとなった。 『嗚呼!!花の応援団』シリーズの監督としても知られる。 東映映画『唐獅子株式会社』での仕事ぶりは原作者・小林信彦の『天才伝説横山やすし』に好意的に描かれている(映画自体は主に脚本が原因で失敗作としているが、小林は映画公開時には丹波哲郎の演技を褒めただけで批判的コメントを自制していた)。 横山には信頼を受けて、その後、横山の御用監督となり、横山製作主演映画『フライング・飛翔』(1988年 東映=東映クラシックフィルム)のメガホンも撮ったが、某競艇選手2名(四国と関西の選手)と原田芳雄から「あんたは競艇を勉強しないで監督しよったな!!!!!!(怒)」と別々に言われ、以来メガホンとっていなかった。 1990年頃に映画業界を忽然と去り、公の場に姿を現していなかった。消息不明ゆえに、好ましくない極道絡みの噂がまことしやかに囁かれ、キネマ旬報や映画監督協会、かつての主演俳優たち、同僚監督や脚本家たちが消息を追っていたが、杳として知られる事はついになかった。 しかしその後、第36回湯布院映画祭の2011年8月26日のゲストとして健在ぶりを示した。『嗚呼!!花の応援団』DVDに収録の映像特典のインタビューによると、商業目的化しそれに迎合せざるを得ない状況で出来上がった作品への自己嫌悪に耐え切れず、監督業をやめたのだという。 そのことを事前に報じる新聞〔2011年8月24日 大分合同新聞 〕によれば、監督引退後、知人の紹介で大分県臼杵市内でヒラメの養殖事業に従事し、現在は同所で環境配慮型燃料製造装置の研究開発に会社役員の立場で取り組み、「磁粉体製造装置」〔磁粉体製造装置及び磁粉体製造方法 - 特開2006-86037 j-tokkyo 曽根の特許〕と「エマルジョン燃料装置」の2つの特許を取得していたという。 2014年8月26日、肺炎のため大分県臼杵市の病院で死去〔曽根中生監督が死去 「天使のはらわた 赤い教室」 朝日新聞 2014年8月26日閲覧〕。76歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「曽根中生」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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