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曾 幾(そう き、1084年 - 1166年)は中国南宋の官僚・詩人。字は吉父。自ら茶山居士と号する。 == 略伝 == 灨州(現江西省)の出身で、のちに洛陽に移住する。特命によって吏部考試を受けて太学上舎を賜り、校書郎となる。のちに河南の少尹となる。高宗の時代に江西・浙西の提刑を歴任。兄の曾開が抗戦を主張し宰相の秦檜と対立したため、連座して免職となり、転運使判官の職があったが固辞する。江西の茶山寺に閉居していたが、秦檜の死後、浙西の提刑に復帰し、台州(現浙江省)の知事となる。のち秘書少監となり、『神州宝訓』編纂の旨を受け、書を完成させて礼部侍郎となる。たびたび隠退を申し出て許され、玉隆観の提挙となり、1164年に官を辞する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「曾幾」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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