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最上 義春(もがみ よしはる)は室町時代中期から戦国時代の出羽国の武将・大名で山形城主。最上氏第5代当主。 == 生涯 == 嘉吉3年(1443年)、満家の死去に伴い跡を継ぎ最上氏第5代当主となったとされているが、『菊地蛮岳旧蔵本』では「応永31年(1424年)に満家の長男の頼宗が家督を相続し、貞享2年(1430年)に頼宗が退隠した」とある。 初名は政家であったが、将軍足利義政から「義」の字を賜り、名を義春と改めた。義春以降の最上氏歴代当主は足利将軍家から「義」の偏諱を受けている。 寛正2年(1461年)10月と文正元年(1466年)に、義政の命を受け古河公方足利成氏攻めに参加している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「最上義春」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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