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最上義智 : ウィキペディア日本語版
最上義智[もがみ よしとも]

最上 義智(もがみ よしとも)は、江戸時代前期から中期の旗本交代寄合、後に高家最上氏の第14代当主。最上義俊の長男。
== 生涯 ==
寛永9年(1632年)8月28日父義俊の死去により、家督を相続した。しかし、幼少のために五千石を減封されて、五千石の旗本になった。領地は近江国蒲生郡内だけになり、同郡大森村に陣屋を構えた。旗本寄合席に所属した。寛永13年(1636年)8月15日将軍徳川家光に御目見得し、交代寄合の格式を付与された。明暦元年(1655年)、初めて領地に赴任する許可を得る。元禄8年(1695年)12月15日、高家役に就任し、18日従五位下侍従・駿河守に叙任する。元禄10年(1697年)3月9日死去、享年67。なお、最上家からの高家登用は義智だけであり、次男義雅の代からは交代寄合に復帰した。
最上領だった滋賀県東近江市に伝わる「最上踊り」は、領民が義智の叙任を祝い踊ったことから、そう呼ばれるようになったという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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