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最御崎寺 : ウィキペディア日本語版
最御崎寺[ほつみさきじ]

最御崎寺(ほつみさきじ)は、高知県室戸市室戸岬町に位置する寺院。室戸山(むろとざん)、明星院(みょうじょういん)と号す。宗派は真言宗豊山派本尊虚空蔵菩薩四国八十八箇所霊場の第二十四番札所であり、土佐で最初の札所である。
室戸岬では東西に対峙している第二十六番札所の金剛頂寺を西寺(にしでら)と呼ぶのに対し、東寺(ひがしでら)と呼ばれる。寺号は「火つ岬」(火の岬)の意。
本尊真言:のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんあり きゃまり ぼり そわか
ご詠歌:明星の 出ぬる方の 東寺 暗き迷は などかあらまじ
== 歴史 ==
空海は都での学問に飽き足りず、19歳の延暦11年(792年)頃からの約5年間、山林修行を続けた。空海の『三教指帰』には「土州室戸崎に勤念す」(原文は漢文)とあり、室戸岬にほど近い洞窟(御厨人窟)で虚空蔵求聞持法に励んだとされる。寺伝によれば空海は大同2年(807年)に、嵯峨天皇勅願を受けて本尊の虚空蔵菩薩を刻み、本寺を開創したとされる。当初は奥の院四十寺のある四十寺山頂にあり、現在地に移ったのは寛徳年間(1044年 - 1055年)頃といわれている〔『日本歴史地名大系 高知県の地名』、p.103〕。
嵯峨天皇以降歴代天皇の信仰が篤かった。延久2年(1070年)の『金剛頂寺解案』(こんごうちょうじげ あん)によれば、現・室戸市域の大部分が金剛頂寺(西寺)の寺領となっており、最御崎寺(東寺)は金剛頂寺の支配下にあったことが窺われる。鎌倉時代末期から室町時代初期にかけては、金剛頂寺の住持が最御崎寺を兼帯していた。正安4年(1302年)には後宇多上皇から寺領を寄進されているが、これは京都槇尾西明寺住持で東寺・西寺の住持を兼帯していた我宝の尽力によるものであった。〔『角川日本地名大辞典 高知県』、p.893; 『日本歴史地名大系 高知県の地名』、pp.103 - 104〕
暦応4年(1341年)、足利尊氏によって土佐の安国寺とされる。その後火災により焼失したが、元和年間(1615年 - 1624年)には土佐藩山内忠義の援助を受け僧の最勝が再興する。堂塔を建立、七堂伽藍を有したという。明治に入って神仏分離令によって荒廃するが、大正3年(1914年)には再建された。阿南室戸歴史文化道の指定を受けている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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