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月刊フレッシュジャンプ : ウィキペディア日本語版
フレッシュジャンプ

フレッシュジャンプ』 (Fresh Jump) は集英社が発行していた日本漫画雑誌1982年隔月刊誌として創刊し、翌1983年より月刊化。1988年休刊。隔月刊時代に通巻8号、月刊化後に通巻65号(増刊含む)の計73号が発刊された。略称は「FJ」。
== 概要 ==
週刊少年ジャンプ (WJ) 』の副編集長に後藤広喜中野和雄が就任するが、同期入社である両名がライバル意識から意見がしばしば対立し、現場に混乱が生じる。このため、編集長であった西村繁男の判断で新人育成のために不定期で刊行していた増刊を定期刊行化し、西村が編集長を兼務したうえで、中野を副編集長に異動させた。
1982年(昭和57年)7月に同年8月号を創刊号とした隔月刊誌として創刊。以降隔月刊誌として一月前の奇数月23日(曜日等によるずれあり)に偶数月号を発売。1983年(昭和58年)8月に「プレ月刊化」として9月号を発行し、翌9月発売の10月号より本格的に月刊雑誌となる。発売日は隔月刊時と変わらず前月の23日であった。この月刊化の際に再創刊して巻号を一度リセットしており、以降○周年記念は毎年10月号において行なわれた。
「新鮮(フレッシュ)な作家による、新鮮な少年漫画、新鮮な雑誌作り〔『フレッシュジャンプ』7巻1号(通巻65号、1989年1月号)集英社、578 - 579頁〕」を目的として新人漫画家の作品を積極的に採用、また『週刊少年ジャンプ (WJ) 』連載作家の読切も多く掲載された。本誌での読切掲載後に『WJ』での連載を開始する漫画家を多く輩出し〔原哲夫徳弘正也猿渡哲也まつもと泉桂正和富沢順森下裕美佐藤正こせきこうじあろひろしなど〕〔、新人作家の登竜門として『WJ』のファームのような位置付けとなっていた。隔月刊時の創刊号では13本の掲載作品の内連載作品は「闘将!!拉麺男」(ゆでたまご)1本のみであり、残りは全て読切作品であった。しかし徐々に連載の本数が増えて行き、同時に3つの新連載を開始した1985年(昭和60年)4月号以降の読切本数は毎号2本前後となり、1985年11月号を最初に読切が一本も掲載されない号も増えていった。
本来、新人育成を目的として創刊されたが、中野が後藤および週刊少年ジャンプに対抗心を抱き、自身が担当していたゆでたまごに「闘将!!拉麺男」の連載を強行させる。ゆでたまごは週刊少年ジャンプに「キン肉マン」を連載中であり、2つの連載作品を執筆することとなってしまった。
さらに西村が編集長を退任し、中野が編集長に昇格するとますます独立志向を強め、週刊少年ジャンプは新人育成のために別に増刊を刊行せざるを得なくなる。このため、西村の判断により、1988年(昭和63年)12月発売の1989年1月号を持って休刊となった。一部の作品は『月刊少年ジャンプ (MJ) 』または『MJ増刊ジャンプオリジナル』へと移籍。
連載作品の単行本は『WJ』・『月刊少年ジャンプ (MJ) 』と同じくジャンプ・コミックスより発刊されていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フレッシュジャンプ」の詳細全文を読む



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