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月原 茂皓(つきはら しげあき、1935年3月2日 - )は、日本の政治家、官僚。本名 月原重明。 衆議院議員(通算3期)、参議院議員(通算1期)。 == 来歴・人物 == 香川県観音寺市出身。幼少期を中国の奉天で過ごす。香川県立観音寺第一高等学校、東北大学法学部卒業。 1960年(昭和35年)東北大学卒業後、防衛庁に入庁。1963年(昭和38年)大蔵省主計局、1971年(昭和46年)和歌山県警警務部長、1973年(昭和48年)防衛庁長官秘書、1976年(昭和51年)国連事務総長スタッフ、1978年(昭和53年)防衛庁広報課長を歴任〔『香川県人物・人名事典』(四国新聞社)(1985年) 152頁〕。 1983年(昭和58年)に行われた第37回衆議院議員総選挙で自由民主党公認で旧香川県第2区から出馬し、初当選。以後、3期務める。1989年(平成元年)、宇野内閣で郵政政務次官に就任。1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙で落選後、名を茂皓と改名。 1993年(平成5年)、新生党結党に参加。直後の第40回衆議院議員総選挙でトップ当選し、国政に復帰した。その後、新進党に参加。1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙では新進党公認で香川3区から出馬したが、自民党の大野功統に敗れ落選。 その後、自由党に参加。1998年(平成10年)の第18回参議院議員通常選挙では自由党公認で比例区から出馬。名簿順位第5位で当選した。 その後、保守党の結党に参加。2000年(平成12年)保守党参議院国会対策委員長〔『香川人物名鑑 2001』(四国新聞社)(2001年) 67頁〕。2001年(平成13年)、第2次森内閣で国土交通副大臣に就任。2002年(平成14年)の保守党解党に伴い、保守新党結成には参加せず、保守クラブを経て自民党に復党した。いわゆる防衛族議員として知られた。 2004年(平成16年)の第20回参議院議員通常選挙では自民党公認で比例区から出馬。しかし、前回支援を受けた防衛団体関係の候補が乱立し落選。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「月原茂皓」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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