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月岡雪斎 : ウィキペディア日本語版
月岡雪斎[つきおか せっさい]
月岡 雪斎(つきおか せっさい、生年不明 - 天保10年2月1日1839年3月15日〉)とは、江戸時代大坂で活躍した浮世絵師
== 来歴 ==
月岡雪鼎の長男〔雪鼎との年齢差が開いているため、養子とする説もある(西垣香 「月岡雪斎に関する一考察 --関西大学図書館所蔵の「十二ヶ月図屏風」をめぐって--」『関西大学哲学』第2号、関西大学哲学会、1971年、196頁)。〕。大坂の人。通称は為三郎、名は秀栄。字は大素。魏江斎と号す。父雪鼎と狩野派吉村周山に絵を学んだ。天明1781年-1789年)末から天保1830年-1844年)の頃に活躍し、天明7年(1787年)頃には父と『和漢名家画繍』を合作している。安永7年(1778年)に、父雪鼎が法眼になるのと同時に法橋に推免せられ〔『御室御記』(仁和寺の僧官が日毎に記した事務記録)。〕、更に父同様法眼に進んでいる。また後年には江戸に移ったともいわれる〔井上和夫 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年。〕。天保10年(1839年)2月1日死去。雪斎の養子となったとされるのが月岡芳年である。
人物画や花鳥画を得意としていたが、特に肉筆美人画にその手腕を発揮し、雪斎による美人画は父雪鼎より練達した筆致で描かれ、注目すべき作品が多い。法橋期は美人画を雪鼎譲りの豊麗さと可憐の風情で描いたが、法眼期になると当世美人に加え古典的主題を得意とするようになった。「月下舞妓図・雪中詠歌図」は2図ともに所作の手を休めた、つかの間の風情を捉えており、父譲りの品のよさに雪斎独自の涼しい色香が感じられる。全体に色調が今ひとつ洗練されず、筆致や構成に生硬な印象もあるが、それはそれでまた若々しく清新な魅力になっており、淡墨を掃いた背景には爽やかさが感じ取れる。
門人に弟の月岡雪渓がいる。雪斎の子に雪操、雪洞がいた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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