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月性 : ウィキペディア日本語版
月性[げっしょう]

月性(げっしょう、文化14年9月27日1817年11月6日) - 安政5年5月11日1858年6月21日))は、江戸時代末期(幕末期)の尊皇攘夷派の周防国大島郡遠崎村(現在の山口県柳井市遠崎)、妙円寺(本願寺派)の住職。諱は実相。字は知円。号は清狂・烟渓・梧堂。贈正四位
== 経歴 ==
15歳のとき豊前国肥前国安芸国漢詩文仏教を学び、また京阪江戸北越を遊学し名士と交流した。長門国では益田親施・・浦元襄などに認められ、吉田松陰久坂玄瑞らとも親しかった。
安政3年(1856年)、西本願寺に招かれて上洛、梁川星厳梅田雲浜などと交流し攘夷論を唱え、紀州藩へ赴き海防の説得にあたるなど、常に外寇を憂えて人心を鼓舞し、国防の急を叫んでいたので世人は海防僧と呼んでいた。長州の藩論を攘夷に向かわせるのに努めた熱血漢で、詩をよくした。「・・・人間〔「じんかん」と読み、「人の世」の意。〕到る処青山有り・・・」という言葉で有名な漢詩「将東遊題壁」(男児立志出郷関 学若無成死不還 埋骨豈期墳墓地 人間到処有青山)の作者としても名高い。
安政5年(1858年)5月、42歳で病死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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