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有本義明[ありもと よしあき]
有本 義明(ありもと よしあき、1931年6月1日〔参考:『12球団全選手カラー百科名鑑2000』(『ホームラン』2000年3月号増刊。日本スポーツ出版社発行)に掲載の解説者名鑑。〕 - )は、日本のスポーツライター・野球解説者、プロ野球監督。兵庫県芦屋市出身〔。現在はスポーツニッポン(スポニチ)特別編集委員。主にプロ野球を中心に取材している。 == 来歴・人物 == 甲子園大会には春(選抜高等学校野球大会)夏(全国高等学校野球選手権大会)通算四度出場。1949年春の大会で芦屋高校のエース投手(右投右打)として準優勝に導いた。慶應義塾大学進学後、同野球部では二塁手へ転向。四年生時には主将を務めた。東京六大学野球リーグ通算29試合出場、65打数13安打、打率.200、0本塁打、5打点を記録した。 大学卒業後はスポーツニッポン新聞社へ入社し、プロ野球を中心としたスポーツの取材を実施。在職中の1962年、当時の阪神タイガース監督藤本定義の要請でアメリカへ外国人選手の調査に向かい、ジーン・バッキーを見いだす。また、同じく1960年代には、NETテレビの東京六大学野球中継に解説者として出演することもあった。1970年代あたりからは、東京12チャンネル・ラジオ関東(1981年よりRFラジオ日本)・TBSラジオ各局のプロ野球中継解説者も務めるようになる。 1992年には、プロ野球記者としての取材活動の集大成として『プロ野球三国志』をスポニチ紙上に執筆。毎日新聞社から単行本が出版された。 1993年から1995年は、根本陸夫に請われ、プロ選手経験のないまま福岡ダイエーホークス二軍の監督を担当する珍しい試みに挑戦した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「有本義明」の詳細全文を読む
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