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有栖川宮幸仁親王(ありすがわのみやゆきひとしんのう 明暦2年3月15日(1656年4月9日) - 元禄12年7月25日(1699年8月20日))は、江戸時代の皇族。後西天皇の第二皇子、母は清閑寺共綱の娘共子。子に正仁親王、幸子女王(東山天皇中宮、承秋門院)、尊統法親王。有栖川宮家第三代当主。 寛文7年(1667年)に高松宮を継承、寛文12年に有栖川宮と宮号を変更した。延宝8年(1680年)に将軍徳川家綱が継嗣のないまま死去した際に、大老酒井忠清に徳川将軍に擁立されたとする宮将軍擁立説がある(→江戸時代の宮将軍擁立説を参照)。 (経歴) ※月日は旧暦。 * 1667年(寛文7年)4月18日、高松宮家相続 * 1669年(寛文9年)8月29日、親王宣下 * 1670年(寛文10年)11月21日、元服、兵部卿に任官。 * 1672年(寛文12年)6月8日、高松宮を有栖川宮に改称する。 * 1678年(延宝6年)4月11日、二品に叙品。兵部卿留任。 * 1697年(元禄10年)5月14日、式部卿に遷任。 * 1699年(元禄12年)7月13日、一品に昇叙。式部卿留任。 7月16日、牛車宣下。 (参考)有栖川宮家系、本朝皇胤紹運録、(東園)基量卿記、 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「有栖川宮幸仁親王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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