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有栖川宮韶仁親王(ありすがわのみやつなひとしんのう 天明4年12月19日(1785年1月29日) - 弘化2年2月28日(1845年4月4日))は、江戸時代の皇族。有栖川宮第7代当主。 == 生涯 == 父は織仁親王。母は家女房。幼名は若宮。 文化4年(1807年)12月に光格天皇の猶子となり、翌文化5年(1808年)3月に親王宣下。同年5月元服し、三品に叙され、上総太守となる。文化9年(1812年)2月、父・織仁親王の落飾により有栖川宮を相続し、中務卿となった。文政5年(1822年)3月、二品。弘化2年薨去。死に際して一品に叙された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「有栖川宮韶仁親王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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