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有田哲三 : ウィキペディア日本語版
有田哲三[ありた てつぞう]

有田 哲三(ありた てつぞう、1949年10月21日 - )は、山口県宇部市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、23ページ〕出身の元プロ野球選手投手)。
実弟の有田修三も元プロ野球選手(捕手)〔。
== 来歴・人物 ==
宇部商業高校では1年生の時、秋季中国地区大会に1年上のエース三原義昭(松下電器)の控えとして出場。準決勝で邇摩高岡田光雄に抑えられ敗退するが、翌春の選抜への出場を決める。地区大会では県予選決勝で先発を任されている。
1966年の選抜では準決勝まで勝ち進むが、同年に春夏連覇を達成する中京商に延長15回サヨナラ負け〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。この大会は三原が投げ切り、有田の登板機会はなかった。夏の甲子園県予選は準々決勝で久賀高に敗退、甲子園には届かなかった。三原以外のチームメートに1年上の玉国光男、同期の安田泰一がいる。
ドラフト会議広島カープから8位指名されるが拒否。同じく東京オリオンズの指名を蹴った岡田光雄らとともに松下電器へ入社する。
その後、ドラフト最終期限(1968年10月10日)前に広島に入団〔。に一軍に上がり、10月8日、対ヤクルト戦でプロ初勝利を挙げるが、その後は活躍の機会がなくオフに現役引退。
やや変則的な投法で、カーブを軸にスライダー、フォークも投げ分けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「有田哲三」の詳細全文を読む



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