翻訳と辞書
Words near each other
・ 有馬義直
・ 有馬義祐
・ 有馬義純
・ 有馬義貞
・ 有馬翔
・ 有馬自由
・ 有馬良橘
・ 有馬英二
・ 有馬英治
・ 有馬菜々
有馬藤太
・ 有馬街道
・ 有馬裕之
・ 有馬記念
・ 有馬記念フェスティバル
・ 有馬記念館
・ 有馬誉純
・ 有馬誠
・ 有馬警察署
・ 有馬豊氏


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

有馬藤太 : ウィキペディア日本語版
有馬藤太[ありま とうた]

有馬 藤太(ありま とうた、天保8年(1837年) - 大正13年(1924年))は、幕末期の薩摩藩士。東山道総督府斥候。名は純雄。
== 生涯 ==

=== 幕末 ===
薩摩藩砲術師範有馬藤太(同名)の長男に生まれる。小野郷右衛門に飛太刀流を学び、十九歳で師範代になるほどの腕前だった。特に抜刀術を得意としたという。伊地知正治に引き立てられた。
慶応4年(1868年)1月に戊辰戦争が勃発すると、4月に東山道総督府の斥候を命じられ、香川敬三率いる一隊に従軍して宇都宮へ向かった。
途中、流山に旧幕府軍が駐屯しているという報告を聞き、不意をついて甲陽鎮撫隊新選組)の陣屋を包囲。局長近藤勇越谷まで連行することになった。
その後、結城城奪還など北関東の鎮撫にあたる。14日、一時江戸に帰還したが、板橋に拘留されている近藤の処刑には強く反対したと伝えられる。その後、前線に復帰後し、22日に壬生城の戦闘で旧幕府軍に対して獅子奮迅の活躍をするが、数箇所に銃弾を浴びる重傷を負い、横浜の病院に送られた。退院後、自分の知らないうちに近藤勇が4月25日に斬首されたことを知って、大いにその不当を香川らになじったという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「有馬藤太」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.