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有馬豊長[ありま とよなが]
有馬 豊長(ありま とよなが)は、江戸時代前期の旗本。 == 生涯 == 慶長6年(1601年)、摂津国三田藩主有馬則頼の四男〔として生まれる。 慶長11年(1606年)、6歳の時に人質として江戸に上り、徳川家康・徳川秀忠に拝謁する。慶長18年(1613年)、兄豊氏の所領である福知山に戻っている。大坂冬の陣・大坂夏の陣に際しては、豊氏に従っている。 元和2年(1616年)より徳川秀忠に出仕し、のちに御小姓役を務める。元和6年(1620年)、近江国蒲生郡内および武蔵国比企郡内に3000石を賜る。元和7年(1621年)、従五位下出雲守に叙任。 将軍徳川家光の日光参詣や上洛に供奉した。慶安4年(1651年)に家光が没すると、霊柩と共に日光に赴いている。 その後勤めを辞し、寄合に列した。延宝3年(1675年)4月15日、75歳で没する。麻布の曹渓寺に葬られ、以後代々の菩提寺となった。『寛政重修諸家譜』には4男3女が記載されている。跡は長男の有馬則故が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「有馬豊長」の詳細全文を読む
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