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服部 公一(はっとり こういち、1933年4月24日 - )は日本の作曲家、随筆家、音楽評論家。 ==プロフィール== 昭和8年(1933年)、山形県山形市生まれ。音楽教師であった祖母の指導で幼少時よりピアノを始める。 山形県立山形東高等学校卒業後、学習院大学文学部哲学科に入学し、久野収ゼミに所属。大学では今上天皇と同学年となる。学部が違ったためいわゆる「ご学友」ではなかったが、「美術史」など一般教養科目をともに履修し、親しく言葉を交わすこともあったという。現在も宮中の茶会などに招かれる間柄である。 学生時代からアマチュアの音楽家として活動し、中田喜直・山田耕筰・團伊玖磨らの知遇を得る。同大学4年の時NHKのオーディションに合格。大学を中退し、プロの作曲家として活動を始める。 昭和34年(1959年)、合唱曲「朝の市場」を発表し、高い評価を受ける。その後「マーチング・マーチ」(歌は天地総子。1965年第7回日本レコード大賞童謡賞受賞)・「アイスクリームの歌」(歌は天地総子。NHKみんなのうた) など子供向け映画・ラジオ・テレビ番組用の童謡や合唱曲を作曲し著名となる。 昭和38年(1963年)、アメリカ・ミシガン州立大学に留学。当時アメリカで名声を得ていた小沢征爾らの協力を得て日本音楽の普及に尽力した。ミシガン州立大学中退後は世界各国を巡り、日本音楽の紹介や各国音楽の比較研究に取り組む。その知識は合唱曲やクラシック音楽に留まらず、民謡、民族音楽、ジャズ、タンゴ、更に声明など多様な音楽にわたり、自らの作品にも取り入れている。 このほか現在まで吹奏楽曲・ピアノ曲・校歌・地方自治体歌・社歌など数多くの楽曲を手がけた。従来専ら斉唱されるものであった校歌を合唱曲として作曲・編曲、音楽教材としても使える二部合唱や混声四部合唱の新たな形式の校歌を作っている。更に「きた・ひろし」の名で作詞も行っている。また新聞・雑誌に論考を寄稿し、自らラジオ・テレビにも出演している。 作曲の傍ら長年音楽を通じた比較文化研究や児童音楽教育の研究・実践活動を行い、学習院大学講師・東京家政大学大学院教授・東京家政大学附属みどりが丘幼稚園園長を務めた。 音楽や旅行などを題材とした軽妙な筆致の随筆でも知られ、数十冊の著書がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「服部公一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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