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服部嘉十郎[はっとり かじゅうろう]
服部 嘉十郎(はっとり かじゅうろう、弘化2年(1845年) - 明治13年(1880年))は、越中国高岡(現在の富山県高岡市)の文化・教育などに功績のあった江戸時代・明治時代の町役人・政治家。高岡城址を公園として整備した「高岡古城公園」の創設者である。 == 来歴 ==
=== 誕生 - 幼少期 === 高岡由緒町人天野屋の13代目として、弘化2年(1845年)8月9日に生まれる。父は高岡町藩政時代最後となる総町年寄、服部三郎左衛門元業、母は同じく由緒町人富田家(横町屋)8代善五郎の長女、民子である。名は元善、初め嘉十郎を通称とし、のちに伝兵衛、再び嘉十郎と改めた。姉に正子、妹に利久子がいたがいずれも夭折したため、嘉十郎は一人息子と同じように育った。 3歳で字を知り、8歳の時津島北渓に学び、のちに福光の宮永叙園に師事。幼い頃より経史、詩文、和歌のほか書画もよくした温厚篤学の君子人であった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「服部嘉十郎」の詳細全文を読む
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