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服部四郎 : ウィキペディア日本語版
服部四郎[はっとり しろう]
服部 四郎(はっとり しろう、1908年5月29日 - 1995年1月29日)は、日本言語学者東京大学名誉教授
== 人物 ==
三重県亀山市生まれ。第一高等学校時代に読んだ安藤正次の『言語学概論』で、日本語の起源が不明であることを知り、言語学を志すようになった。
言語学者として、日本語琉球語アイヌ語朝鮮語モンゴル諸語満州語テュルク諸語アルタイ諸語)、中国語英語ロシア語など多岐に渡る言語を研究した。それら研究対象言語には話者インフォーマント)に直接学ぶ、フィールド言語学の方法論を取った。無文字社会の言語の研究のみならず、万葉集元朝秘史などの文献に基づく言語学も行った。歴史言語学比較言語学の方面においても、日本語諸方言アクセントの比較研究、厳密な音声学に基づく日本語と琉球語の同系関係の証明、古モンゴル語の音韻史の解明などもある。
従来の外国の言語理論や学説をただ輸入するのではなく、厳密な実証主義経験科学に基づき、独自に理論や学説を修正、精密化した。日本の言語学の輸入学問という側面を改め、日本におけるサイエンスとしての言語学の確立を成したとされる。業績は、国内外を問わず、言語学そのものの進展に貢献した。
1955年頃からは、アイヌ語・琉球語の研究に本格的に着手している。危機に瀕する言語としての認識を持ち、精力的に研究を行った他、急務を要する重要性の高い研究であることを度々主張した。危機言語研究の先駆けをなすものとして評価されるものである。1964年に公刊された『アイヌ語方言辞典』はその成果である。教育者としても多くの研究者を指導した。
デニス・サイナーは「東方学」(2002年)所収の「常設国際アルタイ学会(PIAC)の四十五年――歴史と回想」の中で、1995年には「二人の偉大な日本人アルタイ学者、服部四郎と村山七郎が亡くなった。」と述べている。2003年に国際日本文化研究センターより刊行された『日本語系統論の現在』(アレキサンダー・ボビン/長田俊樹 共編)の冒頭にも、「」(本書を20世紀における日本語の起源・系統研究に最も貢献した服部四郎、サミュエル・E・マーチン村山七郎長田夏樹の4人の先達に捧ぐ。)とある。
私生活では、モンゴルタタール族の王女を娶った〔鈴木孝夫田中克彦『対論 言語学が輝いていた時代』(岩波書店2008年)〕。との記述があるが、スキャンダルを好むマスコミのサービス的報道に基づく認識である。服部四郎が残した記録には王女である証拠はない。また、モンゴルではなく、現ロシアペンザ州から満州ハイラルへ亡命したタタール族である。満州・ハイラルに言語のフィールド調査に来ていた服部四郎は、インフォーマントとして、亡命したタタール族からタタール語を教わっていた。その時出逢った女性を娶ったのが、記録に基づく正確な事実である。
また、娶った女性の国籍は、行政等の資料では「無国籍人」となっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「服部四郎」の詳細全文を読む



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