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服部 幸男(はっとり ゆきお、1971年1月5日〔蛭子能収『競艇入門』、ポケットブック社、1992年11月、P159。〕〔 - )は、静岡県浜松市常光町出身〔の競艇選手である。登録番号は3422〔(64期〔)。級別はA1級、身長167cm・体重53kg・B型。父の服部正彦は元競艇選手〔。 == 来歴 == 1971年1月5日、静岡県浜松市常光町に生まれる〔木村1992、218頁。〕。父の服部正彦は競艇選手で、服部自身も幼いころから父親と同じ職業に就きたいと口にしていたという〔木村1992、219頁。〕。中学卒業後、静岡県立浜名高等学校に進学するが学校が嫌いという理由で中退し、1988年4月に競艇選手養成所に入所〔木村1992、220頁。〕。「落水王」と呼ばれ〔木村1992、223頁。〕ながらも卒業時、模擬レースの勝率は7.49で同期生の中でトップだった〔木村1992、221頁。〕。 *また、過去暴走族に所属し、暴走行為が発覚して6ヶ月間の出場停止処分を受け、暴走族から足を洗い、1992年の全日本選手権競走において、21歳(当時)の若さで(SG史上最年少である)初優勝したのを皮切りに1997年の賞金王決定戦競走で優勝し、植木通彦に年間最高賞金記録を抜かれるまでその記録を保持する腕前をもつ。それから現在まで12年間以上にわたりSGでの優勝がない。同期生に松井繁がいる。松井は服部をライバル視しており、インタビュー等で公言することが多い。 *2007年の平和島競艇場の総理大臣杯競走は、浜名湖競艇場・正月一般競走2日目でフライングをしたことによるフライング休みのため、出場ができなくなった。 *2007年9月11日桐生競艇場の開設51周年記念赤城雷神杯競走・準優勝戦において、フライングをしたため、2007年11月7日から12月6日までフライング休みとなり、12月7日から2008年3月6日までのG1競走選出除外が決まったため、東海地区選手権競走の2連覇はなくなった。 *2009年5月5日、浜名湖競艇場のGWレースで通算1500勝を達成。 *2016年2月22日、通算100人目となる2000勝を達成〔登録第3422号 服部幸男選手(静岡)2,000勝達成 - BOATRACEOFFICIALweb 2016年2月22日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「服部幸男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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