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服部 泰卓(はっとり やすたか、1982年9月10日 - )は、大阪府高槻市生まれ・徳島県美馬市出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == === プロ入り前 === 高槻市で出生後に、実父の転勤に伴って転居を繰り返した。小学校5年生の時に、徳島県脇町(現在の美馬市)へ転入した〔朝日新聞、2007年11月20日付朝刊、徳島地方面〕。 徳島県立川島高校では1年夏からベンチ入りした〔朝日新聞、1998年6月27日付朝刊、徳島地方面〕が、同年秋に肘を故障し本格的な投球練習ができなくなった〔朝日新聞、1999年7月20日付朝刊、徳島地方面〕。3年春の県大会では投打の柱としてベスト4進出に貢献し〔朝日新聞、2000年6月28日付朝刊、徳島地方面〕、第3シードとなった夏の県大会では自身も135km/hの速球を武器に大会ナンバーワン投手という評価を得ていた〔朝日新聞、2000年7月21日付朝刊、徳島地方面〕。しかし3回戦で阿竹智史を擁する徳島商と対戦し、リズムに乗れずにコールドで敗れている〔。 駒澤大学へ進学すると、4年生の秋季リーグ戦では3連続完封勝利を含む〔毎日新聞、2009年5月9日付朝刊、P.12〕6勝4敗の成績で初めてベストナインに選ばれた〔読売新聞、2004年11月6日付朝刊、P.18〕。東都大学1部リーグでの通算成績は40試合に登板し11勝7敗、防御率2.04、110奪三振だった。 大学卒業後に、トヨタ自動車へ入社した。2年目のには、上野弘文などとともに主力投手として活躍〔毎日新聞、2006年6月8日付朝刊、愛知地方面〕。都市対抗では、予選4試合全てで先発を任された〔毎日新聞、2006年8月27日付朝刊、愛知地方面〕。また、同年には、第23回ハーレムベースボールウィーク・第15回アジア大会で日本代表に選ばれている。 には、トヨタ自動車のエースとして都市対抗に出場。NTT西日本との1回戦で、3塁を踏ませずに完封勝利を収めた〔毎日新聞、2007年8月27日付朝刊、愛知地方面〕。また、秋の日本選手権では、登板した4試合中3試合で完投勝利を記録。チームの初優勝に貢献するとともに、最優秀選手のタイトルを獲得した。この年には、公式戦で通算19勝1敗という好成績を残した〔ことから、投手として社会人ベストナインにも選ばれた。 2007年の大学・社会人ドラフト会議では、重複指名による抽選で大場翔太の交渉権を逃した日本ハム、長谷部康平の交渉権を逃した埼玉西武ライオンズおよび、千葉ロッテマリーンズから1巡目で指名。抽選でロッテが交渉権を獲得した末に、契約金1億円+出来高5,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で入団した〔読売新聞、2007年12月7日付朝刊、P.23〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「服部泰卓」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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