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服部祐兒 : ウィキペディア日本語版
藤ノ川祐兒[ふじのかわ ゆうじ]
藤ノ川 祐兒(ふじのかわ ゆうじ、1960年8月20日 - )は、愛知県大府市出身で伊勢ノ海部屋所属の元大相撲力士。本名は服部祐兒。身長193cm、体重150kg。得意手は左四つ、寄り、小手投げ。最高位は東前頭3枚目(1986年7月場所)。体育学者、アマチュア相撲指導者で、現在は東海学園大学教授。祐兒のは正確には示へんに右。
== 来歴 ==
東海高校から同志社大学へ進学。高校時代は柔道でならし、2年次にはインターハイ個人戦重量級で優勝(3年次は同3位)。同志社大学時代には学生横綱のタイトル2回、アマチュア横綱のタイトル2回など主要なタイトルを計17回獲得し、アマチュア相撲最強と言われた。〔事実、大学4年となっていた1982年だけでもアマチュア横綱と学生横綱を獲得しており、現行制度化では卒業後に幕下10枚目格付出が認められる実績を残していた形になる。〕元横綱旭富士とは大学の同期で、当時近畿大学を中途退学して先に関取になっていた旭富士より稽古場では強かった。
1983年(昭和58年)3月場所、鳴り物入りで伊勢ノ海部屋より幕下付出で初土俵を踏む。同年9月場所で新十両1985年(昭和60年)3月場所で新入幕を果たす(琴ヶ梅花乃湖寺尾と同時入幕)。左四つの型にはまれば上位力士相手でも力を発揮し、師匠(藤ノ川武雄)の四股名である「藤ノ川」に改名した。しかし、脇が甘く守りに回ると脆く、苦し紛れの小手投げが多かった。入門当初から騒がれ、精神面での弱さも影響し、また腰痛も患って大成できず、2年近く務めた幕内から陥落すると幕下まで下がり、1987年(昭和62年)7月場所、26歳の若さで廃業した。腰を痛め26歳で引退した師匠にならって若年で年寄襲名をさせる話もあったが、これを固辞している。
廃業後は、日本テレビの『独占!!スポーツ情報』で相撲解説を行っていた。また、筑波大学大学院でコーチ学を専攻。高校のアマ指導者を経て、現在は東海学園大学で教鞭をとっている。東海学園大学の相撲部監督も務め、短期間で大学相撲の有力校に仕上げている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤ノ川祐兒」の詳細全文を読む



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