|
服部茂章(はっとり しげあき、1963年11月3日 - )は、岡山県出身のレーシングドライバー ==来歴== 1979年に16歳でカートレースを開始。1990年にFJ1600鈴鹿シリーズでシリーズ4位に入り、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得〔オートスポーツ NO.818 2001年4/19号 66頁「2001年版 ニッポン・レーシングドライバー名鑑」より〕。1994年にシリーズ参戦3年目となったフォーミュラ・トヨタエッソチャレンジメインシリーズで3勝を挙げ、2位の島守広に全10戦中有効8戦でのポイント差を1に迫られながらもチャンピオンに輝き(同年シリーズ5位に余郷敦がいる〔オートスポーツ 1995年1/1号106頁「ジュニア・フォーミュラ'94」より〕〔オートスポーツ 1995年2/15号112頁「ジュニア・フォーミュラ'94 F4/ワンメイクフォーミュラシリーズ総括」より〕)、F3などを経て渡米。インディ・ライツで日本人初のオーバルでの勝利を上げた。 その後CART、2000年からは自らのチームを作ってIRLに参戦。翌年インディ500に参戦し、僅か6/100秒差で予選通過を逃すという悔しい思いをするものの、2002年には決勝進出を果たした。 2004年、ウォルトリップ・レーシング(マシンはトヨタ・タンドラ)に所属し、11月19日のクラフツマントラックシリーズ最終戦にフォード200よりNASCAR参戦。 2005年、日本人初のNASCARフル参戦を果たす。 2009年、NASCARにおいて服部茂章が監督を務めるチーム発足。日本政府がスポンサーになりボンネットに「YOUKOSOJAPAN」の文字が入る。会場で行われる人気カーランキングでは1位になるも本レースはクラッシュに巻き込まれリタイヤ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「服部茂章」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|