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望月信雅 : ウィキペディア日本語版
望月信雅[もちづき のぶまさ]
望月 信雅(もちづき のぶまさ、1518年 - 没年不明)は、戦国時代武将信濃国望月城主。別名・信昌。通称・源三郎、左衛門佐、遠江守。印月斎一峯と号す。望月盛時の子。
滋野氏の名門・望月氏の庶流で、宗家の望月昌頼に仕える。天文12年(1543年長窪城主・大井貞隆とともに武田信玄の侵攻に抵抗するが、敗れて長窪城、さらに望月城が落城。弟の新六らと共に布引城へ逃れる。以降も武田氏への抵抗を続けるが、天文17年(1548年真田幸隆の仲介を得て武田氏に降伏し、望月氏惣領を継承する。
信玄の弟・武田信繁の子・武田義勝(望月信頼)を養子とするが、永禄4年(1561年)に信頼が急逝すると、その実弟信永を養子として家督を譲り、自身は出家した。天正3年(1575年長篠の戦いで信永が戦死すると、その実兄・武田信豊と共に望月領を治めた。
天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると、後北条氏に仕えるが、間もなく依田信蕃の斡旋で徳川家康に仕えるが、織田・徳川の連合軍が信州を平定した後、天正10年(1582年)家禄800貫を依田家に託し、弟新六らと共に駿河国庵原郡山中に遁世する。没年不明



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「望月信雅」の詳細全文を読む



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