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望月信頼 : ウィキペディア日本語版
望月信頼[もちづき のぶより]
望月 信頼(もちづき のぶより、天文13年(1544年) - 永禄4年9月21日1561年10月29日))は、甲斐武田氏の一族で、戦国時代武将武田信繁の長男で、武田信豊の兄、武田信玄の甥に当たる。武田氏に臣従した信濃の名族望月氏を継ぐ。
== 生涯 ==
天文13年(1544年)、武田信玄の弟・武田信繁の長男として生まれる。母は望月盛昌の娘。通称は三郎。元服後は武田義勝を名乗るが、永禄3年(1560年)信濃佐久郡の名族望月氏望月信雅養子となり、望月性を名乗る(養子となった後も、いくつかの資料には武田義勝と記される)。
弟(信繁の次男)の母が正室であるのに対し、信頼と信繁の三男である望月信永の母は望月氏当主であった望月盛昌の娘であったため、望月城の当主となっていた望月信雅の養子になったと考えられている。
翌永禄4年(1561年)9月10日の第4次川中島の戦い(父の武田信繁が戦死)に参陣するが、直後の9月21日に死去した。享年18。死因は病死とも、川中島における戦傷ともいわれる。戒名:喜翁悦大禅門。
子が無かったため実弟(武田信繁の三男)が望月信雅の養子(望月太郎、後の望月信永)として望月家に入り、後に家督を継いだ(信頼自身は家督相続前であった)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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