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望月 聡(もちづき さとる、1964年5月18日 - )は、滋賀県大津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF(攻撃的MF、守備的MF)、FW(センターフォワード)。2007年、びわこ成蹊スポーツ大学准教授に就任。 == 略歴 == 滋賀県立守山高等学校3年次の高校選手権でベスト4進出。1983年に大阪商業大学進学。大商大時代は全日本大学サッカー選手権大会三連覇(1983年、1984年、1985年)、総理大臣杯二連覇(1984年、1985年)に貢献した。1987年に日本サッカーリーグ1部の日本鋼管サッカー部(後のNKKサッカー部、1993年に廃部)に入部、1987-88シーズンのリーグ2位、JSLカップ優勝に貢献し新人王の座を古俣健次(ヤマハ発動機)と争った。 1988年から日本代表に選出され国際Aマッチ7試合に出場した。 1992年にJリーグの浦和レッドダイヤモンズへ移籍。 1995年からはジャパンフットボールリーグの京都パープルサンガへ移籍、同クラブのJリーグ昇格に貢献した。 2008年、北京オリンピックサッカー女子日本代表コーチとして、ベスト4を経験した。 2009年度からは、びわこ成蹊スポーツ大学の監督を務めている。 2011年のFIFA女子ワールドカップドイツ大会でコーチとして日本女子代表を指導し、チームは初優勝した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「望月聡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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