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望月 軍四郎(もちづき ぐんしろう、1879年(明治12年)8月15日 - 1940年(昭和15年)2月1日)は、日本の実業家、慶應義塾特選塾員〔三田評論総目次: 創刊80年記念出版(1898-1978年)〕、民間支那学研究者。 == 来歴 == *1893年(明治26年)4月 - 村上太三郎営む入丸商店に入り株式取引に携わる。 *1910年(明治43年)12月 - 独立し望月商店を開設。1914年(大正3年)8月に廃業〔。 *1919年(大正8年)2月 - 成城学校に中華民国学生教育資金を寄付〔。12月、望月商事株式会社を設立〔。 *1926年(大正15年) - 日本に中国研究講座がないことを残念に思い、慶應義塾大学に軍四郎の寄付により「望月支那研究基金」が設けられる。及川恒忠が研究を主導。 *1927年(昭和2年)6月 - 株式会社九曜社を設立する〔。 *1937年(昭和12年)11月17日 - 静岡県富士郡大宮町に財団法人大宮育英財団を設立、大宮工業学校と大宮商業学校(現・静岡県立富士宮北高等学校)を開校〔富士宮北高等学校 〕。 *1940年(昭和15年)2月1日 - 死去。 *:遺志により嗣小・太郎が慶應義塾大学の学術研究機関に多額の寄付を行い、これを記念して「故・望月軍四朗君記念地方青少年修学奨励資金」が設けられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「望月軍四郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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