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朝井影長[あさい かげなが] 朝井 影長(あさい かげなが、貞享元年11月16日(1684年12月22日) - 明和5年11月7日(1768年12月15日))は尊孝法親王の坊官、勧修寺門跡の坊官。姓は藤原朝臣。家紋は丸に三つ引き。
== 経歴 == 近江国郷士の淺井傅兵衛清貞の子として貞享元年(1684年)11月16日に誕生。初名を新七郎影長。元禄13年(1700年)奥田新七と改名。又姓を朝井と改める(事実上朝井家初代当主となる)。正徳元年(1711年)10月、東山天皇の中宮承秋門院幸子女王に奉仕。宝暦4年(1754年)12月14日勧修寺の尊孝法親王の坊官となる。同月16日得度し名号有壽となり、26日法橋に叙せられ、同12年(1762年)5月15日法眼に進み、治部卿と称す。明和5年(1768年)11月7日、85歳で卒去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝井影長」の詳細全文を読む
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