翻訳と辞書
Words near each other
・ 朝倉佳代
・ 朝倉信景
・ 朝倉信鏡
・ 朝倉停留場
・ 朝倉健太
・ 朝倉元景
・ 朝倉光玖
・ 朝倉光陽高校
・ 朝倉光陽高等学校
・ 朝倉利光
朝倉利夫
・ 朝倉剛
・ 朝倉加葉子
・ 朝倉匠子
・ 朝倉千筆
・ 朝倉南
・ 朝倉南陵
・ 朝倉古墳
・ 朝倉和夫
・ 朝倉和泉


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

朝倉利夫 : ウィキペディア日本語版
朝倉利夫[あさくら としお]

朝倉 利夫(あさくら としお、1956年7月19日 - )は、フリースタイル及びグレコローマンスタイルのレスリング選手である。階級は52kg級〔世界チャンピオン 朝倉利夫 〕。現在は国士舘大学の教授〔〕。さらに拓真館レスリングクラスで師範を務めている〔- nifty 〕。
== 来歴 ==
最初はグレコローマンスタイルのレスリング選手だった。鹿児島商工高から国士舘大学に進むと、1978年の全日本選手権52kg級で2位となった〔。1979年には国士舘大学助手となり全日本選手権52kg級で優勝すると、世界選手権でも3位になった。1980年の全日本選手権でも優勝して、モスクワオリンピック代表となるが、ボイコットのために幻の代表に終わった〔。1981年にはモントリオールオリンピック金メダリストの高田裕司が引退したためにフリースタイルの52kg級に転向すると、全日本選手権と世界選手権で優勝を飾った〔。また、アジア選手権でも優勝した。1982年には全日本選手権で優勝するも、世界選手権では3回戦で敗れたが、アジア大会では優勝を飾った。1983年には国士舘大学教員となり、全日本選手権では5連覇を達成するが、世界選手権では2位に終わり2連覇はならなかった。アジア選手権ではグレコローマンの57kg級で優勝、フリースタイルの57kg級では2位となった。1984年の全日本選手権ではカムバックしてきた館林高校教員の高田裕司に敗れて2位にとどまり、ロサンゼルスオリンピックには出場できなかった〔。1985年の全日本選手権では57kg級で優勝すると、1987年まで3連覇を達成した。しかし、1988年のソウルオリンピックには出場できなかった〔1990年の全日本選手権ではグレコローマン時代を含めて9度目の優勝を飾った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「朝倉利夫」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.