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朝倉宗滴[あさくらはじめしずく]
朝倉 宗滴(あさくら そうてき) / 朝倉 教景(あさくら のりかげ)は、戦国時代の武将。越前国の戦国大名・朝倉氏の家臣。朝倉貞景・朝倉孝景(宗淳)・朝倉義景の3代の朝倉氏当主を一族の参謀格としてよく補佐し、各地を転戦して武名を轟かせた。諱は教景(朝倉教景 (曖昧さ回避) を参照)で、宗滴は法名。茶器・九十九髪茄子を所有していたことでも知られる。 == 生涯 ==
=== 生誕 === 文明9年(1477年)、越前国の守護大名・朝倉孝景の八男として生まれる。生年に関しては文明6年(1474年)とする説もある〔『朝倉義景』吉川弘文館。32頁。〕。 仮名を父・孝景の仮名である小太郎と称していた事や、朝倉家歴代当主が名乗る「景」の字が諱の下にあること、諱そのものも曽祖父・教景、祖父・家景及び父・孝景が一時的に名乗っていた時期があったことから、嫡男として遇されていたと思われる〔2代を継いだ兄・氏景は仮名が孫次郎である。また曽祖父の教景の「教」は足利義教から結城合戦の功績を賞されて与えられた名誉あるものであった。〕。しかし、文明13年(1481年)に父・孝景が死去すると、兄の氏景が家督を継いだ。これは、当時4歳に過ぎない宗滴に朝倉家を継がせることは無理があるとの判断とみられる〔。なお、宗滴は貞景の時代から死去するまで事実上の朝倉家当主として、政務・軍事を執行していたとされる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝倉宗滴」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Asakura Norikage 」があります。
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