翻訳と辞書
Words near each other
・ 朝倉敏景
・ 朝倉敏景十七ヶ条
・ 朝倉敏景十七箇条
・ 朝倉教景
・ 朝倉教景 (宗滴の兄)
・ 朝倉教景 (曖昧さ回避)
・ 朝倉文夫
・ 朝倉文市
・ 朝倉景みつ
・ 朝倉景健
朝倉景冬
・ 朝倉景嘉
・ 朝倉景垙
・ 朝倉景宗
・ 朝倉景忠
・ 朝倉景恒
・ 朝倉景樹
・ 朝倉景盛
・ 朝倉景紀
・ 朝倉景綱


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

朝倉景冬 : ウィキペディア日本語版
朝倉景冬[あさくら かげふゆ]

朝倉 景冬(あさくら かげふゆ)は、室町時代末期から戦国時代前期にかけての武将
元は越前国守護斯波氏の軍奉行であった。越前守護斯波義敏と守護代甲斐常治との間に起こった長禄合戦や、応仁の乱などで兄孝景と共に活躍する。特に応仁の乱での活躍はめざましく、『朝倉始末記』などによれば、京童から「朝倉の小天狗」といわれた。兄の死後は、敦賀郡司として甥の氏景をよく補佐し、越前統一に助力した。
長享元年(1487年)の10代将軍足利義尚近江六角高頼征伐(長享・延徳の乱)の際は、先陣として142騎と兵1500を率いて近江坂本に出陣した(但し、当主朝倉貞景斯波義寛との同陣を避けて敦賀に留まった)。延徳2年(1490年)2月には足利義政東山山荘仙洞御所を移植する作業を務めた。
明応4年(1495年)に死去。子の景豊が敦賀郡司職を継いだ。
category:室町・安土桃山時代の武士
category:戦国武将
category:越前国の人物


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「朝倉景冬」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.