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朝倉阿君丸 : ウィキペディア日本語版
朝倉阿君丸[あさくら くまぎみまる]

朝倉 阿君丸(あさくら くまぎみまる)は、戦国時代の人物。越前朝倉氏の一族。朝倉義景の長男。
== 生涯 ==
永禄5年(1562年)、義景と鞍谷嗣知の娘・小宰相(鞍谷氏)の長男として生まれる。義景にとっては初めての男子だったため、早くから世子として指名されたが、永禄11年(1568年)6月25日に死去した。享年7。『朝倉始末記』巻4などの軍記物によると、御サシという女性が世継の乳母になることで栄華を得ようとして授乳を担当した乳母を毒殺し、その影響から阿君丸も毒が影響で殺害されたのではないかという説もあるが〔朝倉治彦三浦一郎『世界人物逸話大事典』角川書店 平成8年2月、24頁。『朝倉義景』吉川弘文館。173頁。〕、年齢的に授乳期は過ぎているため、直接の影響があったかどうかは不明である。また阿君丸の死は朝倉氏の同族争いがあったのではないかとしている〔朝倉氏は一族が多く、義景が死去したら一族の誰かが継ぐとして席次争いなどもあったとされる。『朝倉義景』吉川弘文館。172頁・173頁。〕。
義景はこれを機に失意に陥り、政務を放棄して鬱々とした生活を送ったとされている〔『朝倉義景』吉川弘文館。170頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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