|
朝堂(ちょうどう)とは、大極殿、朝集殿とともに朝堂院を構成する殿舎、または殿舎の建ち並ぶ一郭のこと。 朝堂は、天子(天皇)が早朝に政務をみる朝政をはじめとする庶政や、朝拝や饗宴などの国儀大礼を執りおこなう重要な庁舎であった。この庁舎は、天子の政府としての「朝廷」を象徴し、また、朝廷の官僚機構そのものを指し示すこともあった〔松村明監修『大辞泉』(小学館、1995)では、「朝廷」の語を「天子が政治を行う所。廟堂(びょうどう)。朝堂。また、天子が政治を行う機関」と説明している。〕。 朝堂は、一般に複数の建物より構成された。また、朝堂により囲まれた中庭(大極殿からみて前庭)を「朝庭」と呼んだ。 == 概要 == === 基本的な設計思想 === 「天子南面す」の思想は、朝堂院の建設に際しても貫かれた。朝堂院の正殿にあたる、天子(大王・天皇)が出御する大極殿は最も北に建てられた。また、冠位を有する官人の集う控えの場である朝集殿は朝堂の立ち並ぶ一画のさらに南に造営され、官人たちはそこで身づくろいなどをおこなった。朝堂院は、原則として、朱雀門(南門)に面する宮城の中央部に位置した。 朝堂は、大極殿と朝集殿の中間に位置し、臣下の着座する本来の政庁としての性格をもつ堂であり、朝堂院外に設けられた政庁である曹司とあい対立するものであった〔橋本(1986)p.120-130〕。当初は、政務はもっぱら朝堂でおこなわれたが、律令制が整うにつれ行政機構が拡充され、官人も増加し、政務の複雑化もあって付属施設として設けられたのが曹司であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|