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朝日平吾 : ウィキペディア日本語版
朝日平吾[あさひ へいご]

朝日 平吾(あさひ へいご、1890年(明治23年)7月 - 1921年(大正10年)9月28日)は、日本政治活動家右翼テロリスト明治の実業家・安田善次郎暗殺した犯人として知られる。
== 人物 ==
1890年(明治23年)7月佐賀県嬉野町に生まれる。長崎県佐世保市に移住。1910年(明治43年)に佐賀の第18師団第55連隊第6中隊に入隊し、1914年(大正3年)の第一次世界大戦衛生兵として山東半島で従軍した。
軍での凱旋帰国の後、東京で生活。ここで、馬賊薄益三(うすき・ますぞう)と知り合い、1916年(大正5年)満州に渡った。しかし、現地での馬賊隊との連帯がうまくいかず、中国東北部朝鮮半島を転々とし大陸浪人の身となった。1919年(大正8年)、失意の内に帰国。平民青年党労働ホテル神州義団右翼団体)等の設立を計画するも挫折。職も転々とし、行く先々で衝突を起こす日々を繰り返し、自暴自棄から社会への不満を募らせていった。
1921年(大正10年)、最後の事業と決めて貧民救済事業に乗り出した。朝日にとっては、本来この事業に出資すべきであるのに、利己的になりそれが「亡国修羅」を生む要因となると映っていたためでもあった。渋沢栄一の事務所に事業設立のための寄付金を要求し、断られると切腹しようとしかけ、寄付金百円をせしめる事に成功した。だが、この事業も途中で頓挫を余儀なくされた。ちょうどその折、前年3月の戦後恐慌で自身は株で大損し、安田財閥の首領・安田善次郎が株を一手に買い占めて2,000万円の利益を得たという噂話を耳にした。この事が安田暗殺を企てたきっかけとなった。
1921年(大正10年)9月27日、安田の住む神奈川県大磯町字北浜496にある別邸・寿楽庵に、弁護士風間力衛〔実在の人物であり、渋沢栄一の他に、朝日が度々事業運営のためと称して金をせびっていた人物でもある。勿論、風間本人は事件と何の関係もない。〕を名乗り、労働ホテル建設について談合したいと申し入れたが、面会を断られた。翌9月28日、門前で4時間ほどねばったところ、面会が許された。そして午前9時20分ごろ、自宅の応接間(十二畳の部屋)で所持していた刃渡り八寸(約24cm)の短刀で安田を切りつけ、逃げようとして廊下から庭先に転落した安田の咽頭部を突いて刺殺した〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)326頁〕。その場にいた家政婦の18歳女性も殺そうとしたが、家政婦が警察に通報している間に、朝日はその場で、所持していた剃刀咽喉部を切り自殺した。享年31。生涯独身だった。
朝日は犯行の直前に投宿していた長生館の女将宛てに『宿賃も支払わずにこんな事になったが、非常に相済まない』との、また佐賀県の父親には『・・・非常な罪を犯す不幸を許して・・・』との手紙を折鞄の中に入れていた。また斬奸状と遺書も持参しており、斬奸状には、「奸富安田善次郎巨富ヲ作スト雖モ富豪ノ責任ヲ果サズ。国家社会ヲ無視シ、貪欲卑吝ニシテ民衆ノ怨府タルヤ久シ、予其ノ頑迷ヲ愍ミ仏心慈言ヲ以テ訓フルト雖モ改悟セズ。由テ天誅ヲ加ヘ世ノ警メト為ス」と記されてあったという。
朝日の葬儀には、全国の労働組合や支援者が安田に負けない葬儀をしようと駆け付け、盛大な物になった。また、当時のマスコミや新聞はこぞって朝日を英雄視したため〔その事を端的に表すエピソードとして、事件を伝える号外が東京で出た時、「大馬鹿者が殺された。面白い号外」と東京本所の安田本邸前で叫ぶ号外売りもいたという。〕、事件の37日後に起きた原敬暗殺事件を誘発したと言われている〔この事件の犯人である中岡艮一は警察の取り調べに対し、当事件に刺激を受けたと語っている。〕。墓は東京都文京区護国寺近くの西信寺にある〔鈴木邦男~新右翼×リベラル保守~ 思想をめぐる対論:貧困問題から憲法まで(その2)貧困問題と暴力 ">HREF="http://www.kotoba.ne.jp/word/鈴木邦男" TITLE="鈴木邦男">鈴木邦男~新右翼×リベラル保守~ 思想をめぐる対論:貧困問題から憲法まで(その2)貧困問題と暴力 〕。
柔道初段の腕前だった。また代議士にも何人か知己がいたが、ある代議士は、「物に激しやすい性質で、小心者であった」と酷評している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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